十津川温泉郷から玉置神社へ
2018年2月3日。節分。
7時前に起床、朝食をとる。
宿からの眺め。十津川温泉郷の中心地からは離れるのでとても静か。空気がキリリと澄んでいる。
8:00過ぎ、宿をチェックアウト。玉置神社に向かう。
途中、「野猿(やえん)」を見かける。生き物の猿ではなく、手動のロープウェイである。吊り橋が掛けられるまでは十津川村内のあちこちで住民の交通手段として利用されていたらしい。
玉置神社
本社を見上げる。玉置神社の御祭神は国常立尊(くにとこたちのみこと)。古くから熊野から吉野に至る熊野・大峰修験の行場の一つとされ、熊野三山の奥院に位置付けられている。平安時代以来修験道による神仏習合の霊場で、神仏分離令により「玉置神社」となった今も、金剛界・胎蔵界の両部大日如来を祀る大日堂社や鐘楼など、仏教的要素を色濃く残している。
大日堂社では毎年節分の日に、中に祀られている胎蔵界大日如来像と金剛界大日如来像の正面を入れ替える「大日堂社転換祭」が執り行われる。昨年の今日お参りした時はたまたまこの神事の最中で、神事の終盤だけ参列させて頂き、転換の瞬間を拝見することはできなかったので、今年こそは初めから参列しようと、これに間に合うように登って来たのだった。
昨年は金剛界大日から胎蔵界大日に転換され、今日までの一年間胎蔵界大日を正面としてお祀りされてきたが、本日のお祭りで再び金剛界大日を正面に転換されることになる。
お祭りは午前10時から執り行われた。神職の方による祝詞の奏上の後、いよいよ大日如来の転換が行われた。想像では、回転式の経蔵のように、回転するターンテーブル状の丸い須弥壇の上に、胎蔵界・金剛界二體の大日如来像が背中合わせに祀られているか、あるいは両大日それぞれが収められている二つの厨子が背中合わせに置かれているのだろうかと思っていたのだが、意外なことに、あたかも二面四臂のお像のように、背中が密着した形で片面に胎蔵界大日もう片面に金剛界大日が彫られていて、蓮華座を回転させることによって胎大日と金大日の正面が入れ替わる仕組みになっていた。おそらく、両面の間に位置する光背は両面で共有しているのではないだろうか。須弥壇がぐるんと大きく回転し二躰のお像が公転運動をして後ろからもう一體の大日如來像が現れるのかと思っていたら、くるりとお像自体を自転させて背中がそのまま金剛界大日になっていたので、びっくりしてしまった。
ともあれ神事は30分ほどで終わり、風が強くて参列者みんなが凍えそうだったので、宮司さんのご配慮で早々に散会となった。お像は白木の端正な顔立ちの大日さんであった。これからの一年間、人々をお見守りくださいと祈念する。大日堂社は普段は扉が閉じられているので、おそらくお像にお目にかかることができるのはこの転換祭の時と、あとは大日堂社の大祭の時くらいなのではないだろうか。しかも、金胎両面を拝むことはできるのは、一年でこの日だけであろう。非常に興味深いお祭りだった。
大日堂社でのお祭りが終わり、三柱神社のお稲荷さんと出雲大社玉置教会へのお参りを経て、奥宮にあたる玉石社へと向かう。
社務所から15分ほど登ると玉石社にたどり着く。玉石社の御祭神は大巳貴命 (おおなむぢのみこと)。明日お参りする三輪山の大神神社の御祭神と同じ。
ご神体の玉石を護る3本の杉の大木。大神神社の御神紋も三本杉。漫画家岡野玲子はその作品『陰陽師』の中で大神神社とこの玉石社との繋がりを示唆しているが、興味深い指摘と思う。歴史やこの世的な次元ではその真偽を明らかにすることは難しいかもしれないが、この世的な次元を越えたところで何かを見出すことはできるのかも知れない。その「この世の次元を越える」認識論を得ることが、密教行者としての到達点であり、また同時にさらなる深みに
進んでいくための出発点でもあるのかも知れない。
しばし玉石社の霊気を味わい、ゆっくりと参道を降りてゆく。
参道横、杉の根元の杉苔の緑が、春が近づいていることを感じさせる。
玉置から高野山へ
14:30過ぎ、高野山に到着。中の橋の駐車場に車をとめる。心配したほどは雪は多くなく、小春日和の良い天気。
奥之院にてお参り。心経一巻・諸真言お上げする。燈籠堂地下にもお参りする。
中の橋の駐車場に引き返す。お参りが終わった途端、ちょっと日が翳るのが面白い。
本日星供に出資する、別格本山大円院に到着。
師僧が住職を務めるお寺であり、私が13年前得度させていたお寺である。
星供の儀式に先立ち、精進の夕食を頂く。いつもながら豪華なお膳で恐縮する。節分の恵方巻もついている。
写真は星供の壇のしつらえ。
星供とは、高野山では毎年節分の日に行われる恒例行事で、
北斗七星(ほくとしちしょう)・九曜(太陽・月・火星・水星・木星・金星・土星・
羅睺星(日蝕・月蝕を引き起こすとされる架空の星)・計都星(彗星))・
十二宮(十二星座。天を十二の領域に分け、太陽がひと月に宿る位置)・
二十八宿(十二宮を更に細分化し、月が一日に宿る位置)等を祀り、これを供養する修法である。
壇上にはこれらの星宿が描かれた星供曼荼羅を祀る。別名、星祭とも呼ばれる。
星宿は人の運命を支配するとされ、これを供養すれば禍を福に転じることができるといわれている。
宿曜道と呼ばれるインド占星術がその元になっており、
日本でも知られている西洋占星術もルーツを一にするとされるが、受動的に星を読むのみならず、
このように修法により能動的に星を供養することによって、厄災を福に転じようとするところが
西洋占星術とは大きく異なる点であろう。
いよいよ19:00より星供が執り行われる。住職が導師として登壇し、
我々職衆と参列者はひたすらに般若心経を唱え、さらに各星宿・諸尊・諸聖衆の真言を唱えて、
今年一年の無病息災・増益(そうやく)を祈念した。