2018年10月25日 三輪山・高鴨神社・東大寺二月堂お参り

今回の行程
(HOLUX ezTour for Logger及び
Google Mapにて作図)
平成17年(2005)の得度から13年、今、一つの区切りを迎えようとしている。 今回のお参りでは、得度直後にしばしばお参りしていた神様を巡り、お参りの原点を辿りながら、 得度からこれまでを振り返り、これからの次の段階に向けて加護を祈りたいと思う。
まずは、今もしばしばお参りしている三輪山・大神神社。中学時代からご縁のある、 自分にとって第一の護り神にご挨拶する。
次に、葛城の高鴨神社と、すぐ近くの御所市伏見地区の八幡神社。高野山での得度・ 四度加行(密教僧が得度後最初に集中的に修す修行。 高野山では100日間外部との連絡を一切絶って修行する。 これを成満すれば伝法灌頂に入壇し、密教行者としてのスタートを切ることになる。) 後、しばらく京都の上賀茂に住んで自坊で自行を開始したのだが、この頃はしばしばお参りに 行っていた。特に伏見八幡神社では印象的なお参りがあった。
そして、東大寺二月堂。得度の決意を新たにした場所。今も折に触れお参りに伺っている。 今回改めて二月堂の十一面観音さんに、これまでのお礼とこれからの守護を祈念しようと思う。
三輪山・大神神社
7:00ごろ京都市内出発。
(以下、写真をクリックすると大きなサイズで表示します。)
三輪山が近づいてくる。
おんぱら社拝殿。右手に注連縄の掛けらた岩が目に入る。今まで気が付かなかった。
岩が木々に囲まれている。いわれは不明だが、ちょっとおもしろい。
一の鳥居。いつものように下の宮大三輪祠にお参りし、更に参道を進む。
9:50ごろ、拝殿前に到着。御宝前にてお参り。
お参り済んで改めて見ると、拝殿では神職の方が人を迎えている様子。
ご祈祷後の昇殿の方がおられるのかなと思っていたら、
10時から秋の大神(おおみわ)祭の後宴祭が斎行されるということで、
誰でも参列できるとのこと。時計を見るとちょうど10時5分前。早速昇殿させて頂く。
秋の大神祭は秋の収穫を感謝する大神神社の大祭で10月23日・24日・25日と三日間に渡って行われるとのこと。
23日は宵宮祭で、24日は一日様々な祭典が執り行われ、
本日25日は後宴祭として秋の大神祭が無事に執り行われたことを神前に感謝するという。
今が秋の大神祭の時期ということは全く知らず、
言うまでもなく10時から祭典があるということも全く知らなかったが絶妙のタイミングであった。
昇殿ということで、作務衣姿ではあったが輪袈裟を着し念珠をかけて準正装にて参加させて頂く。
一般参列者席に進んでゆくと、神職の方から声を掛けられ、僧侶の方かという確認があり、
参列者として玉串を捧げて頂けないかという申し出があった。まことに僭越とは思ったが有難く
お申し出をお受けする。
祭典では、神饌の奉献、祝詞の奏上、巫女さんによる神楽の奉献などがある。
神饌は高坏に大盛りの果物や鯛やおおきな昆布やお米などが次々と供えられ、壮観であった。
巫女舞も凛として美しい舞であった。そして終盤、宮司さんの玉串奉奠に続き、
あらかじめお伝えしていた私の名前が読み上げられ、一般参列者代表として玉串を捧げる。
お祭中ずっと緊張してはいたのだが無事にお役目も果たし、約40分のお祭りを終えた。
お祭りのことなど全く知らず偶々今日お参りして、偶々お祭り開始5分前に拝殿に到着し、
偶々参列者代表として玉串を奉奠させて頂くことになった。とても有難いことであり、そして、
三輪の神様が言祝いで下さっているのだろうかと思われた。
余韻冷めやらぬなか、摂社の狭井神社に向かう。
途中、狭井神社への参道右手の磐座神社にお参り。頭上に立派なクモの巣が張られていて、
木の葉がかかっている。まるで高野山の吉祥宝来のようだった。
狭井神社はしっとりと清らかな空気に満ちている。御宝前にてお参りし、御神水を頂く。
境内には珍しく団体の登拝の方たちがいて、神職の方が登拝はハイキングや物見遊山ではないということを
繰り返し注意していた。我々もまた例年通り冬至の日に登拝させて頂こうと思う。
まほろばキッチン
11時過ぎ、三輪山でのお参りを終え、早めの昼食。三輪山参りの時の恒例の橿原の丸亀製麺へ。
昼食を終えて、これも恒例の地元の大きな産地直売所である
まほろばキッチンへ。
高鴨神社
13:40すぎ、高鴨神社に到着。
高鴨神社は久しぶりのお参り。手元の記録によれば2016年2月2日以来。
以前(2013年8月18日)、ここの祓戸の社が夢に出てきて、前を通り過ぎたところで豆まきの豆のようなものが飛んできて背中にパシパシと当たったのを思い出す。
あれは何だったのだろうか。豆まきも魔物を祓う作法であろうし、
ある種のお祓いだったのだろうか。
拝殿が陽の光を浴びて輝いている。最初は光のせいかと思ったが、新しく建て替わっていた。
前回か前々回にお参りしたころから大規模な改修事業が始まっていたが、無事に工事は終了したらしい。
階段が緩やかになり、昇殿しやすそう。その代わり、板の間はやや狭くなったようだ。
真新しい檜の香りがすがすがしい。
お寺の四天王像のように天邪鬼が踏まれている。後で鳥居横の案内板を改めて見てみると、
たしかに「あまのじゃくの灯篭」と紹介されていた。これまで気づかなかった。
御所市・伏見八幡神社
高鴨神社から車で5分ほど、伏見地区を抜けた高台に伏見八幡神社がある。
ここに最初にお参りしたのは、今から9年前の2009年6月1日、今日も同行しているY女史の誘いで初めて
高鴨神社にお参りした帰りだった。高鴨神社から京都方面に戻っていく途中、伏見地区へ向かう細道の角に
「八幡神社」の案内板があり、何だか気になって、集落を抜ける細い道を登った突き当りに八幡神社があった。
まずは正面の本殿・摂社にお参りしたあと、何気なく向かって右手奥の方に進んで行くと、小さな社が点在する
領域があるのだが、そこに足を踏み入れた途端、「異界」が広がっているのを目の当たりにしたのだった。
そこは古墳の跡にいくつかの祠を配してあり、一番奥、墳丘の頂上には「弁才天社」の標示はあるが、
それはあくまでも「この世」向けの仮の名義であり、その奥に、真の異界が広がっていることを直感した。
この時は、さらに御所駅近くの鴨都波神社を経て大神神社にお参りしたのだが、大神神社参道では巳さんが
迎えてくださるなど、強烈な印象を残すお参りだった。
それ以来、折に触れこの伏見八幡神社にもお参りしていたのだが、ここ最近は足が遠のきがちであった。
本殿・八幡社と、摂社の天児屋根命社(向かって左)・天照皇大神社(向かって右)。
さらに向かって右手に進んでゆく。木々の間から大和盆地の街が見える。
参道横の橿原神宮・大神神社の遥拝所を越えると、空気が一変する。
墳丘のてっぺんに「弁才天社」の祠がある。このすぐ下に古墳の石室がある。
ここは古墳の跡に神社ができたようだが、他にも古墳の跡に寺が建てられた例もあり、やはり古墳や神社・寺院
は、古代の人々の感覚で特別な場所・特別な「力」のある場所が択ばれて作られるのであろう。
今回、久しぶりにこの地を訪れたが、これまでで最もビビッドに「場の境界」が見えるお参りだった。
道の駅 レスティ唐古・鍵
14:30ごろ、伏見八幡神社出発。本日の最後の目的地、東大寺二月堂に向かう。
途中、先日から気に入っている田原本町の唐古・鍵遺跡史跡公園向かいの新しい道の駅、
「レスティ唐古・鍵」
に立ち寄り、一休みする。1階のベーカリーで買い物をし、今回も館内を一通り見て回る。
唐古・鍵遺跡を始め、田原本町とその周辺の史跡の紹介コーナーもある。そこで流れている紹介ビデオは
YouTubeの田原本町役場公式チャンネル
でも見ることができる。(→
「田原本町観光プロモーションビデオ「タワラモトンとおさんぽ」」)
東大寺二月堂・俊乗堂
16:30ごろ、東大寺前着。南大門近くのコイン駐車場に駐車。
生駒の山に沈む夕日が見たいと思い、二月堂に急ぐ。
16:50二月堂到着。日の入りに間に合った。
正面の局にて観音経一巻。
13年前、修二会のお水取りの儀式を見ながら、やはり「中の人にならなければならない」と
得度の決心を新たにした。今日まで無事に修法を続けて来ることができたことを
十一面観音に感謝する。
二月堂から日の入りを望む。右手は良弁杉。
先ほど保留した俊乗堂へのお参りに急ぐ。東大寺まで来るまではさほど意識していなかったのだが、
ここへ来て、ご縁ある重源大徳にご挨拶せねばということに気が付く。
二月堂下の若狭井。若狭の遠敷明神から送られた香水(こうずい)が湧く。
俊乗堂にお参り。般若心経一巻、光明真言。
俊乗房重源大徳は、東大寺大勧進職として東大寺の復興に尽くした。また、我々が四度加行
を修した、
高野山真別処も重源大徳が復興したとされ、私個人としてもとりわけ親しみを感じている。
八百年ご遠忌の法要(2006年10月15日)にも参列させて頂いたのを思い出す。
11月からの真別処での諸伝授に参加することをご報告し、守護を願う。
大仏殿東側にある「猫段」と呼ばれる石段を降りて行こうとした時、右手の小さな祠が眼に入る。
この道は何度も通っているが、これまで気がつかなかった。
由緒書きによると、
「辛国社(からくにしゃ)
大仏殿の東、猫段と呼ばれる石段を登った北側に南面した春日造りの小社で天狗社とも呼ばれるが、
市内の阿字万字(あぜまめ)町の人々の間では辛国社神社(からくにじんじゃ)として崇敬されている。
石灯籠などの刻銘から、明治三十六年前後から天狗社が辛国社という名称にかわったようである。
当社の創立については明らかではないが、嘉吉三年(一四四三)に天狗社の名がみられるから
鎌倉時代頃まで遡るのではないかと思われる。
江戸時代の東大寺諸伽藍略録には、当寺創建の奈良時代に、良弁僧正がさまざまな障害を加える多くの天狗を
改心させて、仏法護持を誓約させ、当社を造り「大法会執行の時には、必ず此社に向って正法護持を祈る」
と明記している。
現在も大法要執行の折には、開白前日の夕刻に「蜂起の儀」として大湯屋に集会し、
当社の前で僉議文を読み上げ、境内を巡察することになっている。
中世には強訴のための八幡神輿の動座や遷宮、或いは犯人検挙などの場合は、必ず蜂起の儀が行われ、
当社の占める比重も高かった。」
とのこと。自分も、11月からの真別処での伝授・行法にあたって守護を祈る。
寺での修行中、夜に天狗がやってきて悪さをするという話は、二月堂の修二会の下堂の際の「手水、手水」の
掛け声の逸話を始め、京都の仁和寺の『理趣経』「一切諸魔不能壊」の句の逸話などあちこちにあるようだし、
彼らを諭し仏法の守護とする話も、日本のみならずインド・チベットにも普遍的に見られる。
このように、例え魔物であっても本質的視点から教え諭す力が、我々僧侶・密教行者には求められているのだろう。
夕闇迫る参道を戻る。観光客の姿もまばらになっている。
17:40ごろ、駐車場出発。市内の渋滞を避け、般若寺交差点を経て京奈和道に入る。
19時過ぎ京都市内帰着。以前のお参り帰りの夕食の定番だった堀川五条近くのロイヤルホストで夕食。 一日のお参りを振り返った。
おわりに
今回も不思議な巡り合わせのお参りだった。大神神社の拝殿は、以前にもご祈祷の後に昇殿させて頂いた
ことがあったが、今回は、三輪の神様に招き入れて頂き、これから新たな段階に入って行くこの時を言祝いで
頂いたような気がした。
また高鴨神社・伏見八幡神社では、得度と得度直後の最初の集中的な修行である四度加行を終えて京都に
戻り、自分の行法を始めた頃のお参りを思い出し、初心を忘れず、また「場」を見極めながら、
自分の拠点を作って行こうという思いを新たにした。
続いて東大寺二月堂では十一面観音にこれまでの報告とお礼をさせて頂き、
これから更に密教行者として進んで行きますと誓わせて頂いた。
そして俊乗堂にて、四度加行以来ご縁を頂き親しみを感じている重源大徳にご挨拶をし、同じく密教行者として
更に精進していくことを誓った。
高野山での得度から13年、新たな段階に入って行こうとする今、得度直後に親しくお参りした地を再び巡り、 これまで進んできた道を振り返り、そしてこれからの道を進んでいこうという決意を新たにした。 そしてその中で、改めて諸神・諸仏との繋がりを深く感じることができたお参りであった。