2018年6月28日 大神神社・龍穴神社・丹生川上神社お参り

今回の行程
(HOLUX ezTour for Logger及びGoogle Mapにて作図。)
久しぶりに水巡りに出る。しばらくご無沙汰していた丹生川上神社中社が気になっており、大神神社・龍穴神社を経て久しぶりに丹生川上神社に参拝しようと考える。
この旅程だと、午前中に大神神社、昼前後に龍穴神社、午後から丹生川上神社に参拝となり、昼食は外食がとりにくいコースになるため、久しぶりに弁当を用意して、7:00ごろに京都市内を出発する。
大神神社
9:00頃、大神神社大鳥居前駐車場着。
(写真をクリックすると大きなサイズで表示します。)
まず、祓戸の神様であるおんぱら社(綱越神社)にお参りする。
車を降りて歩きながら、このところの身体の疲れと寝不足、そして蒸し暑さでなかなかしんどい。
一の鳥居をくぐり下社にお参り。本殿内に入ると、ちょうどどなたか御祈祷を受けておられる。
静かにお参りし、芳名帳に記帳して出る。
拝殿にたどり着く。夏越の祓の茅の輪が設置されている。
横に「夏越し茅の輪について」という案内板があり、夏越祭の期間は6月21日から7月8日までとのこと。
さらに、
「日々の生活の中で、しらず知らずのうちに心身についた罪穢れを、茅の輪をくぐることにより祓い清め、
無病息災を祈る神事です。
『三輪大明神縁起』に「杉、松、榊の三木は神霊の宿り給う霊木である」と記されています。
夏越の大祓の時節に当り、故実に因んで、三霊木をかかげた茅の輪をくぐりご祈念下さい。」
とある。我々も日々の罪穢れを祓い清めるべく、くぐらせて頂く。
そして、三輪明神の御宝前にてお参り。ちょうど目を閉じて祈念しているときに、 ポケットの中の携帯電話が鳴る(というかマナーモードなので、ブルブルと振動する)。 御神前での祈念の最中だったのでそのままやり過ごす。祈念終わって番号を見ると見知らぬ番号。 掛けなおしてみるが話し中だった。重要な用事であればまたかかってくるであろう。
御神札授与所に「おんぱら祭」の提灯が。気になって後で調べてみると、約一か月後の7月31日がおんぱら社の例祭とのことだった。
暑くてしんどいので、祈祷殿横の地下休憩所で一休み。大神神社には数えきれない程お参りに来ているが、 ここに入るのは初めて。しばし涼む。
お参りし、ご神水を頂く。境内は涼しくて楽に息ができる。
ベンチに座って、しばし境内の清浄な空気を味わう。
いつものコースで、最後に若宮社にお参り。併せて目には見えない観音さんにもお参りする。
10:40頃、大神神社を後にし、龍穴神社に向かう。
龍穴神社
11:25頃、龍穴神社の吉祥龍穴に到着。山は涼しい。山で行法を修したい。山の寺は良いなと思う。
御宝前にて般若心経、龍真言を唱える。
丹生川上神社中社
12:40頃、丹生川上神社中社到着。久しぶりのお参り。後に記録を確認してみると、
2013年2月4日以来5年ぶりのお参り。
まずは本殿にお参りする。こちらにも茅の輪が設置されている。上部にはくぐりながら唱えるという
「水無月の 夏越の祓 するひとは 千年の命 延ぶというなり」の句が掲げられている。
まだ結界が張られていてくぐることは出来なかった。
昼時で空腹でもあったので、一旦車内に戻り、作ってきた弁当の昼食をとる。
昼食後、再び本殿にゆっくりお参りし、さらに境内を回る。
摂社の木霊神社。由緒書によると、
「御祭神 五十猛(いたける)命」
例祭日 四月十六日
当社の御祭神五十猛命は須佐之男命の御子にして、神代木種の播種に殊に其の御神徳高く、
苟も木材林業の業に携わる人々は勿論、木の恩恵に浴する諸人のひとしく仰ぐべき木の大神である。
昭和五十七年春、小川郷木材林産協同組合市場開設三十周年を記念し、
同組合理事長山本敏夫氏をはじめ関係者の盡力あって、
神恩奉謝事業隆栄の祈りを籠め広く江湖の奉賛により殿宇を建立せり。
畏くも御神霊は和歌山市鎮座伊太祁曽神社より迎う。」(句読点は筆者補う。)
とのこと。
以前(記録によれば2010年7月10日)、真夏の蒸し暑い日にお参りに来た時、
ちょうどこの鳥居の下の土からセミの幼虫が這い出る来て、
まさにこれから羽化して成虫にならんとするところに出会ったことがあった。
あの日は今日以上にサウナのように蒸し暑かったことも一緒に思い出される。
前はもっと頻繁に丹生川上神社にもお参りに来ていたのだ。
さらに本殿向かって右手の杉の大木へ。両手で触れて祈念すべしとのことで、 今の一番の思いを祈念する。
続いて、この丹生川上神社中社の「コア」である東の滝へ向かう。
丹生川上神社中社は三川合流の地に鎮座する。北(写真では後方)から高見川、
東(右方)から日裏川、南(奥手)から四郷川が流れ込み、西(右方)へ流れて行く。
東の滝は日裏川の合流点にある。
東の滝。ここにも龍神がおられる。瀧の水量はこれまでここで見た中で一番多いのではないか。
水流によって細かな霧と風が吹き上げられている。
眼を閉じてしばしお参りする。
と、その時、また携帯電話が鳴る(振動する)。表示されている番号を見てみると、
先ほど大神神社のお参り中に鳴った番号であった。今回はすぐに電話に出てみると、
盆正月と例年お手伝いに行っていたお寺の方からの電話で、このお盆からは助法
(僧侶としてのお手伝い)の態勢が変わり、
私には依頼しないことになったという旨を教えて下さる電話であった。
私用の電話からだったのでその知り合いの方からとはわからなかったのだった。
このお寺にはちょうど10年間、お盆・お正月の助法に行っていたのだが、
得度から13年、僧侶・密教行者としての道を進んできて、自分自身としても今、
一つのステップを迎えているという感覚が強くなっており、
この助法にも一つの区切りをつけるべき時が来ているという感覚を強くしていた時であった。
ただ、経済的な事情もあり、呼ばれる限りはお手伝いに伺おうと考えていたのだが、
状況の方が先に動いたようだった。
そうした経緯があって、この知らせをこの絶妙(!)のタイミングで
(つまり一度目は大神神社での参拝・祈念中、二回目はこの瀧での祈念中に)受けて、
神・仏に「前に進め」と言われている気がしてめちゃくちゃ嬉しくなる。
やはりお参りでは「起こるべきこと」が起こる。
この助法が無くなって、思いのほか爽やかでサッパリとした気持ちになる。
別に嫌々助法に行っていた訳ではない。そうではなくて、このようなことから、
心配しなくてもしっかりと神・仏と繋がっていることがわかり、嬉しくなる。
日裏川、滝の上流から合流点方向を見下ろす。
朝からの疲れ気味の心身から打って変わって爽やかな気持ちで歩く。
改めて合流点を眺める。左手から高見川、後方から日裏川、右手から四郷川が流れ込み、奥手に流れてゆく。
さてこの後どうしようかと思った時、これまで何度も目にしていた「七滝八壺」の案内板が目に入る。
これまでここにお参りに来るたびに目にはしていたが、実際に行ったことはなかったので、
一度どんなところか行ってみることにする。
七滝八壺
14:30頃、七滝八壺(ななたきやつぼ)到着。思いのほか「名所感」がある。案内板によると、
「台高(だいこう)山脈「伊勢辻山」を源と指、大又川にそそぐ七つの滝の総称で、
水量豊かで美しい景観を造形している。吉野杉の人工林に囲まれる一帯は、
日本三大人工美林のひとつであり、ニホンカモシカ、ニホンザルなど多くの動物が生息している。
水が涸れることなく流れ落ちる滝で、こうした水が豊かな森を育んでいる。」
とのこと。
また、奥にあるもう一つの案内板「七滝讃歌」の中に「七つの滝に七つの壺、この通念を破り、
七転び八起きの諺になぞえて、七滝八壺と名付けた、今は遼るかな吾が祖達の遺せし、
軽妙な発想に、畏敬の念をもって、この地名を、永く後世に伝承したい。」とある。
吊り橋を渡って進んでいくと、まず一つ目の滝が目に入る。確かに水が豊か。
さらに山道を登ってゆく。岩肌の苔に木洩れ日が射して緑が美しい。
奥の連瀑に至る。なるほど、壮観な眺めである。
(ぜひ上の写真をクリックして大きな画像でご覧ください。)
14:45頃、出発。帰路に就く。
久保本家酒造 酒蔵カフェ
本日のお参りも完遂ということで、お茶でも飲みながら一休みしたいと思うも、なかなか良いところが無い。 と思っていたところ、以前たまたまラジオで聞いた、道の駅宇陀路大宇陀の近くにある久保本家酒造に 最近作られたという酒蔵カフェを思い出し、行ってみることにする。
カフェは、酒蔵と古い民家部分を改装してあり、お庭も見ることができて雰囲気がある。 メニューは、日本酒の飲み比べセットや、日本酒や酒粕を使ったドリンク、アイスクリームなどがあり どれも美味しそうなのだが、運転中でもあるのでアルコールがしっかり飛んでいると思われる酒粕を使った チーズケーキを頂く。なかなか美味しかった。
さらに、朝方の往路で見かけて気になった、国道24号線沿い田原本町の唐古・鍵遺跡付近に新しく
出来たと思しき道の駅にも立ち寄ってみる。
唐古・鍵遺跡は銅鐸の絵柄を模したちょっと変わった形の櫓が復元(?)されていて、
以前にも周辺を廻ってみたことがあったのだが、いつのまにか周囲が整備されて史跡公園となり、
道路を挟んで向かい側には道の駅ができていたのだった。
中に入ってみると思いのほか広く、ベーカリーなどもなかなか美味しそうであった。
また、遺跡の紹介のコーナーなどもあり、なかなか頑張って作ったことが強く伝わってきた。
開業1周年ということだったが、日本のあちこちにできている道の駅も、
中には経営が苦しいところもあると聞くので、ぜひ頑張ってほしいなと思う。
おわりに
などと、寄り道をしながら19:30頃京都市内帰着。
今回も、神・仏との繋がりを強く感じられる良いお参りだった。
やはり、お参りでは「起きるべきことが起きる」。神・仏に背中を押してもらえたのが嬉しい。
そして、起こることをただ待つだけではなく、
自らも動いていかなければならないという気持ちを新たにしたお参りであった。