水巡りの記

2016年9月22日 若狭・御誕生寺・朝日山福通寺

今回の行程(HOLUX ezTour for Loggerにて作図。)

このところずっと南方へのお参りが続いていたこともあり、また瓜割りの水に飢えてきたこともあり、今回は久しぶりに若狭へ向かうことにする。1月26日以来の若狭お参り。

また、このお参りを計画している時、同行者より、福井県越前市の御誕生寺(ごたんじょうじ)というお寺を知っているか?という問い合わせを受ける。このお寺は、いつの間にか集まってきてしまったネコを保護し、また里親縁組みの活動なども行っている「ねこ寺」としても有名である。若狭へのお参りのついでに、このねこ寺にも足をのばせないかということであった。知っているもなにも、御誕生寺の住職板橋興宗禅師には、20年以上前、石川県辰口町(当時)にある北陸先端科学技術大学院大学の学生だった時に、板橋師にはとてもお世話になったのである。

板橋師に初めてお会いしたのは、たしか当時の指導教官の紹介だった。板橋師は宮城県の在家のご出身で、東北大の宗教学研究室(うちのインド学研究室と兄弟関係のような研究室)におられたはず。北陸先端大での私の指導教官も宮城県出身で、その関係もあって面識があったのだと思う。板橋師は当時金沢の大乗寺(おそらく石川で最大の曹洞宗寺院で、何人も修行僧も抱えているはず)の住職で、指導教官に誘われて日曜日の一般向けの参禅会に出て、その後はいつも方丈 (住職の居室)にお呼び頂いて、親しくお話をしたりご相談に乗って頂いたりしていた。基本的には、情報科学の枠組みから人間の意識の諸状態の研究をすることの難しさや、周りとの文化的ギャップについて悩みを聞いて頂いたりしていたような覚えがある。今考えれば、自分のニーズのコアを考えれば得度して自ら修す以外には答えは無いのだろうが、まだ普遍的な視点から外堀を埋める作業が必要だったのであろう。けれどもどこかで、本当に求めているものと、手段との齟齬に常に悩んでいて、当時はそれが漠然としか分からず、そのモヤモヤを聞いて貰っていた気がする。ただ、私は座禅にはさほど興味がわかず、研究が忙しくなるにつれ大乗寺からは足が遠のいてしまった。

板橋師はその後総持寺貫首や曹洞宗管長などを務められたという話は聞いていたが、そのあとの消息は存じ上げなかった。たしか、高野山での修行仲間が住職をしている福井県越前町の朝日観音福通寺で助法のため滞在中であったか、テレビのローカル番組で御誕生寺がねこ寺として紹介された時だったか、板橋師が御誕生寺を復興(実質的には建立)されて、若い修行僧の教育に当たっておられるという事を聞き、これは得度のご報告に伺わなければと思っていたところであった。そう思いながらなかなかきっかけがないまま数年が過ぎていたのだが、思わぬところで御誕生寺の名を聞き、これは今行かなければと思い、即座に電話にてアポイントメントを取る。

当日、いつものように7:00頃京都を出発。鯖街道沿いに若狭に至る。天徳寺、鵜の瀬お参りののち、いつものように小浜のフィッシャーマンズワーフにて昼食後、空印寺境内の八百比丘尼入定窟にお参り、小浜インターチェンジから若狭道・北陸道経由で武生、御誕生寺へ。板橋禅師に面会の後、馴染みの越前町朝日の朝日観音福通寺へお参り。帰路は雨の中国道8号線で鯖江から敦賀に至り、敦賀から国道161号沿いに湖西を南下し、途中(という地名)から鯖街道に入って22:00過ぎ京都に帰着した。

宝篋山天徳寺 瓜割の滝

(写真をクリックすると大きなサイズで表示します。)

大分涼しくなり、夏の終わりを感じる。



御宝前にて、心経一巻、十一面・諸龍・善女龍王・水天の各真言唱える。

手ですくい、久しぶりに瓜割りの水を味わう。やはりおいしい。私は今のところ、この水よりおいしい水を知らない。私の体に合うということなのだろう。


杉苔がみずみずしい。


天徳寺本堂(本尊・馬頭観音)への参道。


ご本尊の宝前にて再び心経一巻、馬頭観音真言。



しばらく来ない間に、滝の前に橋ができていたり、水車小屋ができていたり、新しい幟(のぼり)が立っていたりする。水場の前の売店も新しくなっていた。きれいに整備されるのは有り難いものの、整備・維持費等、大変なのではないかとちょっと心配にもなる。

水場にて、指定のポリタンクにてお水を頂く。ようやく瓜割りの水が頂けてとても満足。

鵜の瀬

続いて鵜の瀬に向かう。


まず白石社にお参り。



苔がむしている。やはりここも水の地だ。


鵜の瀬に降りる。いつもの通り、しめ縄やや右上に重心を感じる。大きな女性の神様を感じる。

八百比丘尼入定窟

小浜の若狭フィッシャーマンズワーフにて昼食後、これも恒例の石窯パンの郷こころに立ち寄った後、すぐ近くの空印寺境内、八百比丘尼入定窟(はっぴゃくびくに にゅうじょうくつ)へお参り。

現地の小浜市による由緒書きより
「八百比丘尼(はっぴゃくびくに)入定(にゅうじょう)の地
 八百比丘尼の伝説は、北は東北から南は四国、九州まで全国に広がる物語ですが、いずれの土地のものも全べて若狭小浜と深いかかわりをもった伝説として語り継がれています。
 若狭で語られている八百比丘尼物語とは、むかし東勢村(現小浜市)に高橋長者と呼ばれる人がいて、あるとき海中の蓬莱の国へ招かれ、お土産に人魚の肉をもらってきました。長者の娘がそれを食べたところ、八百歳になっても娘のように若々しく、困った娘は尼になり全国を行脚して、最後に若狭小浜に帰りこの洞穴に入定(生きたまま身を隠し静かに死を待つこと)したというものです。この時八百比丘尼は洞穴の入口に白椿を」植えたと伝えられています。(後略)」

入定窟入り口。

いつものように、上方の岩壁に眼が行く。

御誕生寺

14:00前、御誕生寺へ。新しい伽藍が並ぶ。新しいながらも、穏やかで優しい佇まい。まず本堂にお参り。

噂通り、本堂の軒下などあちこちで猫が昼寝している。

境内では彼岸の中日で祝日ということもあってか、パイプテントが建てられ、猫の保護の啓発もかねて、猫グッズの販売や猫の座製作のワークショップのようなものも行われていて、人が集まっている。猫グッズの間に、本物の猫が寝ていたりしていて、ほほえましい。

約束の時間にまだ間があったので、それらを眺めていると、すぐに近くの寺務所の戸が開き、若い僧侶の方が招き入れて下さる。

20年ぶり以上にお会いした板橋興宗禅師は、今年90歳になられるということで、確かにお年を召しておられるが、話の合間の眼光は鋭い。きつい鋭さではない。本質を見通す眼。

大乗寺でお会いした時のことは、さすがに覚えておられなかった。しかし、同じ東北の出身、東北大でも関連する研究室の同窓ということで、話がはずむ。

「なぜ来たのか」と、間を置いて何度も聞かれる。「以前いろいろご相談に乗って頂いて、結局その後、ごらんの通り(僧侶の衣体で伺った)僧侶になりましたと、得度のご挨拶に伺いました。」とその度お答えするが、最後にまた聞かれた時、「またお会いしたくて参りました」と申し上げると、気のせいか、納得されたようにお見受けした。実はすべて解って、禅問答のようにもっとも本質的な答えを求めておられたのかも知れない。

約1時間の面談だったが、「今」の自分に必要な非常に重要な示唆を頂いた。禅宗と密教では方法論は違うが、本質においては何ら変わりはない。真の僧侶とはどういうものか、はっきりと眼に見せて頂いた。

面談終わって僧堂の修行僧の皆さんと猫の皆さん宛にもお土産を渡し、おいとまする。雨が降っているのに、玄関の前までお見送り頂き、車で駐車場を出るところまで手を振りながらお見送り頂く。まるで、子供のような素朴さが心を打つ。涙が出そうになる。偉い高僧とかいう以前に、人としてまっすぐ、素朴。そして本質を一瞬も外さない眼。これが真の「僧侶」。こういう方に応援頂けるということが、どれだけ有り難いことかと思う。

おいとましてからも、半分まだ違う世界にいるような、のぼせたような感じが続く。深い深い三昧から戻ってきた直後のような感じ。仏とコネクトするということはどういう事なのかはっきり見させて頂いた。

朝日観音福通寺

御誕生寺の興奮も醒めやらぬまま、30分ほどで朝日山福通寺へ。

友人の住職は博物館の学芸員でもあって、そちらの仕事が忙しく今回は不在。お母様、お祖母様、そして去年結婚されたばかりの若奥さんが迎えて下さる。

まずは本堂にて朝日の観音さんにお参り。お久しぶりです、ご無沙汰しておりますとご挨拶。毎月18日の護摩の残り香・余熱が堂内に残っていて、彼もきっちりやっているなぁと思う。やはり、「現役」の、つまり普段からきっちり修されている寺はテンションが違う。

今お参りして来たばかりの御誕生寺の話、猫の話などで盛り上がる。また、もとよりお参り好きな若奥様と奈良や玉置のお参りの話など。

一時間以上があっと言う間に過ぎ、おいとまする。お米などたくさんお土産を頂く。有り難い。

帰路、越前のそばを食べて帰ろうと思い、目当ての店に行くも閉店の様子。武生・南条方面で通りかかったそば屋に入る。この辺りの定番のおろしそば。店員さんの忠告の通り、大根おろしがえらい辛い。が、なかなか旨かった。

22時過ぎ、京都着。えらい長い、密度の濃い一日だった。お参りの精度と密度がこれまでにも増して上がってきている。

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