水巡りの記

2017年12月5日 長滝白山神社・白山中居神社お参り

今回の行程(HOLUX ezTour for Loggerにて作図)

9月から10月にかけての、若狭の水を玉置・花の窟に繋いだ水巡りの流れを受けて、今回は私にとっての水巡りの「水源」である白山のお膝元長滝白山神社と白山中居神社にお参りしようと思う。

白山は古くからの山岳信仰の霊山で、今年は養老元年(717年)の泰澄大師による開山から1300年を迎える。山麓には白山登拝の拠点として、石川県の白山比咩神社を中心とする「加賀馬場(ばんば)」、福井県の平泉寺白山神社を中心とする「越前馬場」、岐阜県の長滝白山神社を中心とする「美濃馬場」が開かれ、これらは合わせて三馬場と呼ばれ白山修験の修験者をはじめ白山を信仰する人々で賑わったという。

これまでそれぞれの馬場に参拝してきたが、理由はわからないが特に長滝白山神社を中心とする美濃馬場に親しみを感じ、繰り返しお参りしている。自分としては、白山を水源として若狭・京都・奈良・玉置・熊野・伊勢・白山と「円環をなす水の道」の中で、美濃馬場は特に白山と伊勢とを繋ぐ側のコネクタのような気がしている。

9月からの流れで、若狭から奈良、奈良から玉置・熊野・花の窟と水を繋いだので、伊勢は参拝は見送ったが、熊野・伊勢方面からの流れを受けて美濃側から白山を遥拝しようと思う。また、美濃馬場からの白山登拝の最前線である白山中居神社は、以前お参りに訪れた時は残雪が深く本殿に近づくことができなかったため、今回こそは白山中居神社にお参りしたいと思う。

長滝白山神社

(写真をクリックすると大きなサイズで表示します。)

白山長滝神社に到着。郡上市白鳥町に入ったあたりから雨がみぞれになる。


白山開山1300年の幟が立っている。なお、長滝白山神社境内には神宮寺長瀧寺があり、併せて美濃側における白山信仰の拠点となっている。


参道の両脇には塔頭の坊院やその跡地が並び、往時の賑わいが偲ばれる。


蔵泉坊跡には今は瀧泉院が建つ。神宮寺の長瀧寺は天台宗だが、経緯は不明だが当院は真言宗となっている。人気(ひとけ)は無い。何らかの活動はしているのだろうか。


参道から右手(東側)の山々を望む。もう少し登ると積雪が始まる。白山中居神社まで行けるだろうかと、やや心配になる。


銀杏の落ち葉が目にも鮮やか。


境内にはうっすら雪が積もっている。


拝殿前の石灯篭。彫りが繊細。


間近に拝殿を見上げる。


拝殿から本殿へ。本殿前にて心経一巻、白山(しらやま)大権現御宝号、本地仏である十一面観音の御真言、十一面観音の仮の姿である龍の真言を上げる。お参りしながら、20年以上前、白山に登った時の山頂の様子、室堂から見る山頂や、点在する池の眺めをありありと思い出す。また同時に、寺の在り方をめぐる人間のどうしようもない性(さが)に対する憤懣やるかたない気持ちが洗い流される。以前、自房にて白山の十一面観音を勧請し集中的に十一面観音供養法を修していた時にも感じたことだが、白山の十一面観音の、ともすれば魔物のように凶暴な悪龍と見紛う程の、強烈なまでの浄化力を改めて痛感する。泰澄さんは、凶暴な龍の姿の奥にある本性(ほんせい)、十一面観音の協力な浄化力を即座に看破されたのだろう。


お参りのタイミングで、みぞれの合間に一瞬陽が射す。



続いて、同じ境内の長瀧寺大講堂に参拝する。


白山開山1300年祭のポスターが貼られている。


講堂前の宝篋印塔と拝殿。


長滝白山神社を後にし、白山禅定道への最前線、白山中居神社に向かう。

白山中居神社


白山長瀧から石徹白(いとしろ)地区に向かう。だんだん雪が深くなってくる。


桧峠を越えて石徹白へ。


まさに山懐に入って行く感じがする。


白山中居神社にたどり着く。


前回は春先だったが残雪のため本殿まで行くことができなかったが、今回はどうであろうか。


狛犬も雪を頂いて可哀想な感じ。


雪は積もっているが、何とか進めそうだ。


時折青空が見え、陽も射す。


参道を進んで行く。


木々の下は雪が少なく、予想以上に進みやすい。


本殿に渡る橋。陽が射して、「道が開いている」感じがする。


「あちら側」と「こちら側」を隔てる宮川。


下流側を見渡す。


本殿を見上げる。階段にも雪は積もっているが、何とか登れそうだ。


本殿前にたどり着く。本殿を窓口に白山を遥拝する。



白山の雷鳥が彫られている。




境内は、何かが上へ上へと向かっているような気がする。


念願のお参りを済ませ、参道を引き返す。宮川の石垣。


お参り後は結界橋の様子も違って見える。お参りが終わって門が閉じたようにも感じる。


もと来た参道を引き返す。


再び鳥居を振り返る。


白山中居神社前のこの道をさらに進むと、別山を経て白山御前峰へと至る。

水のまち郡上八幡

京都への帰路、郡上八幡に立ち寄る。郡上八幡は白山の水の恵みを頂く水の町である。


いがわこみち。江戸時代寛文年間にできたという用水。炊事や食器の洗い物にも使われた。今も生活に利用されており、住民によって大切に管理されている。


イワナか?水が澄んでいる。


鯉やアマゴ・イワナも水質維持のために飼われていると言う。


街中の共同井戸。



マンホールにもアマゴの絵柄が。


街中のお稲荷さん(左京稲荷)。大事にお祀りされている。


左京稲荷横を流れる乙姫川。


夕方、子供たちの下校時間。


神農薬師。この地に立ち寄った一巡礼が厚いもてなしを受けた礼に持仏を置いて立ち去ったのが由来という。こちらも大事にお祀りされているようだ。


白龍稲荷神社



急な階段を登る。


白龍稲荷から郡上八幡市内・郡上八幡城を望む。


室町時代の連歌師宗祇ゆかりの宗祇水。白山の伏流水が湧く。こちらも、今も飲料水・生活用水として大切に使われているという。


市内を流れる小駄良川。川辺まで家が迫っている。


オフシーズンの夕方で人影が無いが、却って古い町並みの風情が感じられた。


おわりに

京都への帰り道、朝同じ道を通ったのが遠い昔のように感じられる。お参りの時はいつもそうだ。お参りは、この物理空間上での移動のみならず、次元を超えた「トリップ」でもある。今回は特に白山中居神社の空間は、後から思えばこの世ならざる世界のように感じられる。

次元を超えることがお参りの本質だ。それに集中するために自分は密教行者になったのだということを改めて確認する今回の旅でもあった。