2022年2月1日 伊勢お参り
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はじめに
2月1日は旧暦1月1日、水瓶座の新月。実質的な正月ということで、伊勢神宮にお参りする。
<今回の目的地。青線は移動経路。>
(Googleマップを元に作図。地図データ:© 2022 Google)
<伊勢周辺拡大図>
(Googleマップを元に作図。地図データ:© 2022 Google)
朝8時過ぎに京都を出発。京都東ICより名神高速に乗る。
大津SAに寄り朝食を摂ろうかと思うが、めぼしいものが無かったのでそのまま出発。
琵琶湖越しに比良山を望む。
朝食は別のSAで済ませる。新名神から伊勢自動車道に移る亀山西JCTにて、 またしても間違えて四日市・名古屋方面に直進してしまう(以前も同様の間違いをしたことがあった)。 以前は道なりに進めば伊勢道方面に向かえたのだが、 その後道の付け替えにより左への分岐を進まなければならなくなり、以前の癖でそのまま直進してしまいがち。 すぐ先の鈴鹿PA内スマートICより一旦高速を降り、東名阪道の鈴鹿ICより再び高速道に乗って伊勢方面に向う。 約30分のタイムロス。
どうしても話に集中してしまうと道を間違えやすくなる。特に、集中しなくても良いものに集中すると 道の間違いとして「あちら側からの反応」が出るように思われる。しかも、以前より反応の出方が早く、 顕著になっているような気がする。 それが如実に表れたのは 昨年11月19日の龍鎮神社・龍穴神社へのお参りの 帰路だった。 とは言え、それは単なる道の間違い・時間のロスというだけのことではなく、 非常に重要なメッセージも含まれているので、それをしっかり受け止めることさえできればとても大切な 「反応」「お知らせ」でもある。集中力・同化力のマネジメントが一層重要になっている。
外宮
午前11時過ぎ、外宮着。今回は駐車場が開いている。 前回(2021年9月22日)はコロナのまん延防止のため閉鎖されていた。
空気が澄んでいる。空は快晴。久しぶりに息ができた気がする。「正気」にもどる。
目指しているのは「正気にもどる」というだけのこと。
世俗における生活の中で視野が狭められないように気をつけなければならない。
本日は新暦2/1、旧暦1/1ということでお参りの人がとても多い。 しかも「濃いめ」の人もちらほら見える。
下御井神社(しものみいのじんじゃ)にお参り。こちらもいつもより沢山のお参りの人たち。
団体の方もおられて、後方から遥拝す。
参道沿いに蜜柑がなっている。非時香菓(ときじくのかくのこのみ)。吉祥。
上御井神社(かみのみいのじんじゃ)への細い参道はだいぶ静か。大津神社前より遥拝。 ここと水脈のつながる丹波の真名井神社にもまたお参りに行きたい。
外宮のお参りを終え、結界橋を渡って振り返り一礼。陽の光が強まったような気がする。
つまらない観念を焼尽(しょうじん)す。
月夜見宮
内宮
内宮へ。こちらも参拝客が多い。宇治橋近くの駐車場が満車のようなのでおはらい町より手前、 おかげ参道地下道近くの駐車場に車を駐め、おはらい町を歩く。人通りはだいぶ多い。
御手洗場(みたらし)。五十鈴川の川面が輝いている。ここでお参り前に身を浄める。
正宮にてお参り。空気が冴えていて気持ちが良い。しばらく味わう。
風日祈宮(かざひのみのみや)内宮で一番好きな空間。
風日祈宮橋はいつもながらよく揺れる。3軸(前後左右上下)に揺れる。
お参り終わって橋を渡り終わった途端に陽が射す。「ここからがスタート。」
続いて大山祇神社、子安神社にお参り。ここはおそらく初めてか。 子安神社の御祭神は木花開耶姫さん。
再び宇治橋に帰ってくる。宇治橋も少し揺れるがやはり風日祈宮の橋の揺れは別格。
風その他のエレメントがせめぎ合う場所だから?風日祈宮は異界の中の異界のような感じがする。
瀧原宮
外宮・内宮のお参りを終え、度会郡大紀町にある内宮の域外別宮、瀧原宮へ。
外宮・内宮は比較的頻繁にお参りに来るが瀧原宮はだいぶ久しぶりのお参り。
(1)瀧原宮、(2)瀧原並宮、(3)若宮神社、(4)長由介神社(川島神社)の順にお参りすべしと。
順序が逆になってしまったが、御手洗場(みたらし)に降りてみる。
終わりに
新年最初のお参りは伊勢神宮。外宮・内宮とも澄んだ空気と透明な光の中のお参りだった。
瀧原宮では、外宮・内宮ではともすれば人出による「ノイズ」に煩わされかける面もあったが、
最後に静謐な空間の中でお参りができた。
お参りで「正気」に戻る。素に戻る。
なぜ、神社や寺院、聖地に参ると素に戻るのか。場が清浄に保たれているから?
「本質」と繋がる場所だから?
これから「自分の場」をどう作っていくかがさらに重要になるということを再認識させられるお参りであった。