水巡りの記

2021年11月19日 龍鎮神社・龍穴神社お参り

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はじめに

今回は龍の地・室生の龍鎮神社と龍穴神社にお参りし龍神を供養する。 龍穴神社はこれまでも度々お参りしお気に入りの場所の一つだが、 龍鎮神社は今回初めてお参りする。


<今回の目的地、龍鎮神社・龍穴神社・大神神社 (Googleマップを元に作図。地図データ:© 2021 Google)

当日朝、珍しく寝坊して同行者との約束の時間よりも30分ほど遅刻する。 さらに、最初に向かった龍鎮神社のすぐ近く、室生ダム付近から神社に向かう入り口を 何度か通り過ぎてしまう。この時はまだ気づいていなかったが、 後から思えば既にこの時からこの日のお参りの意義を示すその後の展開の前振りとなっていた。

龍鎮神社


ともあれ、龍鎮神社入口到着。既にお参りの方と思われる車が数台駐まっている。 一人二人の先客は想定していたが予想外に多い。


ここから徒歩で山道を進む。


道に沿って流れる川の川床は岩盤になっている。川と反対側も柱状節理の見える崖になっている。


更に進んでゆくと...


龍鎮神社の鳥居が見える。 鳥居と神社に向かう道は下流側に折り返す形で降りて行く方向に向いているが、


なんだか上流側も気になる。


水が岩盤を流れる。


龍鎮の瀧。


滝壺は思いの外深い。


滝壺横の祠にて龍を供養する。気のせいか、終盤、 周囲で若い龍たちが沸き立つような感じがする。


ご供養終わって周囲を散策する。滝壺の下流方向。「雷場」と書かれた看板がある。


改めて龍鎮の瀧を振り返る。


お参り終わって鳥居の辺りまで戻ってくる。やはり上流方向の方が気になるが、 今回は結界から先へは進まないことにする。

龍穴神社


続いて龍穴神社へ。いつもは奥宮の吉祥龍穴に直行するのだが、 龍穴に向かって登って行く山道が崖崩れのようで入口にバリケードが張られている。 そのため今回は久しぶりに麓の拝殿・本殿からお参りすることにする。


境内は静かで澄んだ空気。奥宮の龍穴からエネルギーが流れてきていることをはっきり感じる。


拝殿前にて龍を供養する。


境内の由緒書には御祭神は高龗神とあるが、 拝殿正面の額には「善如龍王」と表記されている。実体は同体なのだろう。


拝殿前での作法終わって、拝殿裏手の本殿に進む。


奥はさらに凜と透き通った空気。しばしこの空気を味わう。


奥の本殿前の狛犬。


お参り終わって拝殿を振り返る。 普段は麓の拝殿・本殿は素通りして直接奥宮の龍穴にお参りするのだが、 今回は何年ぶりかで麓からお参りした。 奥宮の龍穴のプリミティブで荒々しいエネルギーが麓の本殿ではトリートメントされて荒さが 取れ、多くの人々に受け容れられやすい穏やかで洗練された形になっていることは今回初めて 実感された。これまでは自分自身が先へ先へと進むことに集中し、 最前線へと向かうことだけを考えていたが、神ほとけと人々とを繋ごうとする時にはまた違った 視点も必要ということを考えさせられたお参りであった。

大神神社

室生の龍鎮神社・龍穴神社のお参りを終えて近くの「道の駅宇陀路室生」にて遅めを昼食を 済まし、大神神社へ。


まず祓戸の神様であるおんぱら社にお参り。


いつもより社の周りが広々と開いているように感じられる。 特に向かって右手が広くなっているような。お参りの時間帯がいつもと違うせいか。


つづいていつものように「下の社」大神教本院にてお参り。


松並木の参道から三輪山を望む。参道を歩いていると、「いつもの場所」に帰ってきた安心感。


拝殿よりお参りする。


巳の神杉は玉垣を普請中。


摂社・狭井神社に向かう。途中、良い雲が出ている。


狭井神社も境内の木の支えの工事中。


狭井神社。御祭神は大物主神の荒魂。拝殿よりお参りする。


裏手の薬井戸が再開している。さっそく御神水を頂く。


三輪山の登拝も受付を再開している。 コロナ禍も取り敢えず一段落し、少しずつ通常に戻りつつある。 このまま終息に向うことを祈るばかり。


狭井神社のお参りを終えて若宮社へ向う。紅葉が眼を惹く。


若宮社への道を進む。遥かに大鳥居を望む。西日が射す時間帯のお参りは珍しい。

若宮社(大直禰子神社)


若宮社もいつもより「開いている」ように感じられる。 扉がいつもより多く開いているのかと思うほど。
御宝前にて若宮さんへのお参りに加え十一面観音に向けて観音経偈をお唱えする。

帰路

大神神社でのお参りを終えて京都方面に帰る。 カーナビの案内に随って進むも設定を間違え、なおかつ案内を見ているにも関わらず 何度も道を間違えて山の中の道を進む。三輪山から京都に帰る道などこれまで何十回も 通っているにも関わらず。(このページ冒頭の地図参照。)


本日は「ほとんど皆既月食」の部分日食。普段は通らない山中の街明かりの少ない場所から 食の最中の月がよく見える。

道を間違えに間違えて結局宇治の辺りに出る。宇治橋の守り神、橋姫神社が目に飛び込んでくる。 更にカーナビとは微妙なズレを続けながら、意図せずして観月橋を渡る。 宇治の橋姫からの月食の真っ最中に観月橋を渡ることになるとは。 宇治橋を渡ることはなかった。道に任せて意図せずして自ずと観月橋を渡ることになった。 三輪山の帰りに宇治やら伏見やらを通ることなど通常では考えられない。
思えば今日は朝から寝坊して出発が遅れ、道はこれまでになくあちこちで間違えて引き返し、 橋姫神社に呼ばれ観月橋を渡った。一体どうなっているのか。 同行者との対話を重ねながら、 「起きて!→軌道修正、軌道修正→鞍替え・切り替え→橋を渡る(彼岸・本質の岸に渡る)」 という道を歩まされたのだと気づかされる。


この結論にたどり着いたタイミングで月は食の最大を越え元の満月に戻って行く。

今日のお参りは龍鎮神社・龍穴神社の龍神を供養するお参りから始まり、短期的にはここ数ヶ月、 長期的には数十年対峙してきた問題に終止符を打つ時が来たということを、 これでもかこれでもかと示されることとなった。そして本日を以て本質の岸へと渡った。
これほどの展開が待っているとは思いも寄らなかった。 帰坊後もしばらく呆然としてしまうほどの根源的な転換が待っていた。 これほどまでに徹底的に神ほとけから示されたこの「鞍替え」「切り替え」を はっきりと形にしていかなければいけない。

翌日


翌11月20日、全く別件でたまたま京都市内・神泉苑の前を通りかかると、 何やら衣装を着た女性が境内の法成橋を渡ってくるのが目に飛び込んでくる。


何事かと思い境内に入ってみると、 ちょうど静御前の舞「白拍子」の奉納が始まったところだったようだ。

昨日の龍鎮神社・龍穴神社において善如龍王をご供養してきた。 そして宇治の橋姫神社に呼ばれ、月食のまっただ中に観月橋を渡らされ、 私の道の大きな転換が示された。 そして今日、同じく善如龍王の地である神泉苑において橋の上で舞う静御前を見せられた。 その意味はまだわからない。しかし一つの吉兆であることは間違いないと思われる。 改めて、これから昨日・今日で示された「切り替え」をはっきりと形にしていかなければならないと思う。

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