2021年9月22日 伊勢神宮外宮・上御井神社お参り
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はじめに
前回8月22日にお参りした真名井神社・籠神社は、 豊鋤入姫命と倭姫命による天照大神ご遷幸の地いわゆる元伊勢であると共に、 現在は伊勢外宮に祀られている豊受大神のふるさとであった。 豊受大神は天照大神の求めにより外宮に遷されたが、その際真名井神社の磐座の傍らに湧き出る 天の真名井の水も外宮の上御井神社に遷されたという。 そこで今回は外宮の中でも特に上御井神社を主要な目的地としてお参りしようと思う。
外宮・月夜見宮
折からのコロナ禍のため外宮前の駐車場は閉鎖中。外宮の別宮のひとつ月夜見宮近くの コインパーキングに車を駐める。その関係でまず月夜見宮にお参りする。
境内は静かに降る雨の中瑞々しい。月夜見宮は外宮・内宮の別宮の中でも最も好きな場所の一つ。
外宮
道々、同行のY女史と行者の話。 ここ数ヶ月でふとした成り行きで10kgほど減量したのだが、 例えばヨーガ行者の中には極限まで身体を追い込み感覚も鋭敏になりすぎるほどに研ぎ澄ます人たちもいる。 しかし、自分自身も宇宙を見んとする行者ではあるがそういうタイプではないなと思う。 もっと日常の中に本質があるのではないか。 例えば日々の自坊の掃除自体も宇宙に繋がる修行であるような。 日常自体が宇宙と繋がっているのではないか。
いつものようにまず正宮、続いて多賀宮にお参り。
歩きながらの同行のY女史の話。
「雨の音は本当に雨の音か?」雨が空から落ちてくる時の音は聞こえない。
雨が葉っぱや地面に当る音は、雨が雨でなくなる瞬間の音。」
多賀宮から降りてきて左に参道を入り下御井神社(しものみいのじんじゃ)へ。
本日のお参りの第一の目的である上御井神社(かみのみいのじんじゃ)は
日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)を始めお祭りにお供えする御水をいただく井戸
だが、上御井神社で不都合があった場合は、下御井神社でいただいた御水をお供えするとのこと。
(外宮の公式HPより)
上御井神社は一般参拝者は近づくことができないが、下御井神社はすぐ近くに参拝することができる。
多賀宮から土宮に至る参道から細道に入り、下御井神社の御宝前に至った途端、感極まる。
「何だこれ(この感覚)は?」と思わず何度もつぶやく。涙が出そうになる。
水巡りのお参り、水脈を繋ぐお参りがとても大事ということを改めて深く実感する。
異次元に飛んでしまったのか、続いて土宮、風宮とお参りする道を進みながら、 自分がどこの道を歩いているのか一瞬わからなくなる。
御厩から左に細道を入る。この道は今回初めて歩く。静かな小径が続く。好きな道。
この先には度会国御神社と大津神社があり、
道はそこで行き止まりだが、この辺りから上御井神社を遥拝する。
歩きながらスマートフォンで現在地と上御井神社との位置関係を確認しようとしてしまう。
しかし、こういう時はこの世の次元・物の次元ではなく、神ほとけの次元を見る眼を
働かせなければならなかったのだ。木々に隠れて直接見ることはできないが、
上御井神社の方角と思われる方向に向けて遥拝する。後から思うと下御井神社の時ほどは
「水脈を繋ぐ」ことに集中し切れなかったかも知れない。
ともあれ、またここからお参りしたいと思う。
内宮門前おかげ横丁
外宮のお参り終えて車で内宮へ。門前の駐車場はこちらも軒並み閉鎖されているため神宮会館横の 駐車場に止め、おかげ横丁を抜けて宇治橋へ向かう。
内宮
五十鈴川の守り神である瀧祭神にお参りし正宮方面へ進む。
正宮ではいつも正殿の上空に眼が行くのだが今回は正殿の屋根の飾りの美しさに眼が行く。
続いて内宮の別宮の中で最も好きな風日祈宮(かざひのみのみや)へ。
五十鈴川の支流の島地川に架かる風日祈宮橋を渡る時、
いつも上下左右の揺れを感じる。今回もいつもにも増して揺れた。
物理的に揺れている訳ではないらしい。
しかし、気のせいという程度を越えて酔いそうになるほど「揺れる」。
この現象の意味は不明だが、橋も異界に通じる場所なのかも知れない。京都の一条戻橋の例もあるし。
おわりに
再び宇治橋を渡り境外に出た途端雨が土砂降りとなる。これも洗い流す雨か。
今回のお参りを通じて、改めて最近自分が念頭に置かなくて良い事柄を
念頭に置き過ぎていることがはっきりとわかる。「素」に戻る。
人知れず行法を修している名もなき行者達がこの世を支えていること、
人知れず水巡りをし水脈を繋ぐ作業が重要なことなど、
行者として「当たり前のこと」を改めて再認識・再確認するお参りとなった。
前回の真名井神社といい、諸神が寄って集って私を浄化しようとして下さっている。
これほど有り難いことがあるだろうか。