探求者としての密教行者という生き方

私が川島研究室の研究員を退職し、高野山にて得度して密教僧となってから、早くも五年以上の時が経ちました。現在は、特定の寺院には属さず、知り合いや縁あるお寺の助法などをしながら、京都市内の自房にて修法の日々を送っております。
研究員を退職したのは2005年7月で、その7月の末、私がかつて学部時代に所属していた東北大学文学部印度学仏教史研究室のずっと上の先輩にあたる方が住職を務める、高野山内の寺院にて、得度致しました。この師僧とは、学部卒業直後に学会発表のために高野山大学を訪れた際に宿泊させて頂いたのが最初のご縁なのですが、当時はまさか後に自分がそこで坊主になることになるとは思ってもいませんでした。同年9月には、山内にある一般の人は立ち入ることのできない修行専門の寺院にて、四度加行と呼ばれる、百日間をかけて密教僧として最も基本的な密教の行法を伝授される修行の課程に入りました。翌年8月には伝法灌頂に入壇して「金剛阿闍梨」となり、密教の様々な修法・秘法を伝授されるための最低限の資格を得、密教僧・密教行者としての出発点に立つこととなりました。
私の一貫した目的は、より「深く」、宇宙、世界を見たいという一点です。 我々は普段、「概念」を通じて世界を認識しています。ほとんどそうとは意識していませんが。例えば、「目の前にコップがある」と思ったとき、「コップ」は目の前に「実在」していると思い込んでいます。けれども、本来実在するのは不可分なる全体としての宇宙全体だけで、ただそこに様々な密度の分布のばらつきなどがあるだけです。けれども我々は、密度が急激に変わっている部分を勝手に「輪郭」とし、その「輪郭」によって閉じられた部分をひとつの個体とみなし、これに、「飲み物を入れる」「瀬戸物やガラスで出来ている」などなどの機能や材質や形状などの属性の集合からなる「コップ性」という概念を結びつけ、「コップが存在している」という認識を「作り出して」います。けれども、不可分なる宇宙全体に勝手に境界線を引き、勝手に作り出した「コップ性」なるものを結びつけ、「コップが実在している」と思っているのは、その概念体系を共有する認識主体同士の間だけで通じる仮の約束事・共同幻想であって、実在ではありません。
けれども我々はどうしたわけか、こうした「概念化」というプロセスを経ないと世界を認識できない堅固な傾向を持ってしまっています。同様に、例えば「私」という概念も、分節不可分なる宇宙全体から一部分を勝手に切り出し、「自分性」という概念を結びつけることで、「自己」「自我意識」というものが「実在」していると思い込んでいますが、それもわれわれが作り出した仮の概念、虚妄分別に過ぎません。また同様に、「物質的世界」「物質的側面」というのも、不可分なる宇宙全体からその一面を便宜上切り出して名札をつけた仮の概念に過ぎません。 そうした、あまりにも自動化し全く自覚すらしなくなっている概念化というプロセスが、宇宙の「リアル」を覆い隠すものであって、その概念化のプロセスをやめ、例えば「自己」と思っていたものも、「不可分なる存在全体としての宇宙」に他ならなかったという、本来は「当たり前のこと」に気がつくこと、つまり、自分が「認識」をするときに瞬時に作り出しているかりそめの概念を「実在」と思い込むクセを抜け出すことが、宇宙を「深く見る」ことの出発点ではないかと私は思っています。
ところで、私は十代の頃から仏教や密教に興味を持ち始めまして、学部でもインド哲学・仏教学を専攻したのですが、文献学としてのインド哲学・仏教学には興味が湧かず、むしろ、「現実世界」を「作り出す」意識の仕組みを、特定の思想や宗教の体験ではなく、人間に普遍的な体験として捉えたいと考え、大学院時代には情報科学・認知科学の分野での研究を経て、さらに脳や生理と意識との関係を見ていこうとしていたのが、川島研に至るまでの経緯でした。 川島研時代も含め、脳科学の分野での研究では、睡眠中の夢や感覚遮断時のヴィジョンなど、「物理的知覚」とは独立に「現実感」を作り出しているときの脳活動に焦点を当てて、様々な試みをしておりました。けれども、結局私にとっては、いくら脳を観察しても、自身の認識が「概念化のプロセス」によって限定されていることに気づき、これを止めることができなければ、それは世界・宇宙の本質の知覚に向かう道ではないと言わなければなりません。 そして自分に必要なのは、観念的な思考でも外的な観察でもなく、宇宙の本質を見極めるための「身体(からだ)作り」であると思うに至りました。そして、そのための自分にとって最良の方法論は、仏教、特に密教でした。これは「原点回帰」でもあり、またそれまでの「前行(ぜんぎょう)」を踏まえてこれからまさに「本行(ほんぎょう)」が始まるということでもあったと思います。
こうした転換期は、今思えば2004年頃からだいぶ自分の中で表面化してきていたのですが、この間、研究室の友人達との対話からも、様々な洞察を得たり勇気づけられることが多々ありました。そうした支えがなかったら、今日の自分も無かっただろうと思います。また、川島研時代の、論文などには顕れないbackground processとしての様々な試みや経験は、私の根源的なところでの貴重な糧になっております。
こうしてまさしく「満を持して」密教の世界に飛び込んだわけですが、それから今日まで丸五年修法を重ねてきて、これがこれほど面白いものだったのかと、日々この道に出会えた悦びをかみ締め、これまでの道筋に間違いではなかったと再認識しているところです。
仏教の中でも密教は、その修法に様々な図像や法具、様々な身体的技法を使いながら、宇宙の本質を見据えるための「眼」と「身体」を作り上げようとする点に特徴があります。私にとって寺とは、言わば「宇宙」を探求するための天文台や宇宙船であり、密教の修法は、望遠鏡のレンズを磨き、飛行技術を磨く飛行訓練所のようなものです。そして本尊は、「この世」では「ほとけ」とか「かんのん」とか様々な名で呼ばれたりもしますが、けれども本来は名前をつけること自体によっても本質が失われてしまう「本質自体」であり、また本質を映し出す窓、羅針盤であると考えています。古来、密教行者とは、日々全身・全霊を使って「深い宇宙」を観測する、天文学者や宇宙飛行士のようなものなのではないかと思います。
今、私が京都の小さな自房で修している修法は一座(1セッション)がおよそ一時間から、護摩供など長いもので二時間程かかるものが多いのですが、その一座は言わば一つのフライトで、これを何年何十年もかけて何百座、何千座と重ねることによって、より「深い宇宙」が見えてくるものと確信しています。また、自房に籠もる修法のみならず、しかるべき時にしかるべき「場」に自ら実際に足を運びお詣りや巡礼をすることも、また非常に重要な作業だと言うことも、近年改めて感じているところです。
また一方で、私はショーバイや職業として僧侶となった訳ではありませんので、現実的な生活を支えながら、自らの探求をどう進めていくかは、キレイ事では済まない切実な問題です。けれども、今は最低限のアルバイトで最低限の生活費を稼ぎつつ、日々自分の本尊と向き合い相談しながら、いま、ここで、為すべき事を一つ一つ積み重ねていけば、おのずと自分に必要な「場」もさらに整えられていくのではないかと思います。生活のためのアルバイトですら、「世界を見る」ために現在の自分にとって必要不可欠な経験なのだろうと思います。
これからも、一密教行者として、それ以前に一探求者として、いや、それ以前に「単に本質自体を思い出したい本来本質なるもの」として、たゆまず進んで参りたいと思います。