多羅菩薩祈願所 真言宗単立寺院 青蓮庵 多羅菩薩祈願所 真言宗単立寺院 青蓮庵

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本尊・多羅菩薩

多羅菩薩とは

青蓮庵本尊・多羅菩薩図像
図1 青蓮庵本尊・多羅菩薩
多羅菩薩種字・タン字
図2 多羅菩薩種字・「タン」字(慈観筆)
青い睡蓮
図3 三昧耶形・青蓮花(写真は睡蓮)

当青蓮庵は多羅菩薩(ターラー菩薩)様を本尊としております(図1)。 ターラー(Tārā)とはサンスクリット語で「眼睛」、 つまり「瞳」を意味し、観音様の眼から放たれた慈悲の光から生まれた仏様とされています。 また、チベット仏教では、観音の慈悲の涙から生まれた仏様と伝えられています。 「ターラー」の名はまたサンスクリット語で「救度(あらゆる苦しみから救うこと)」を意味することから、 別名「救度仏母」とも呼ばれ、あらゆる衆生を救いまたあらゆる仏の母であるとも言われています。 すなわち多羅菩薩様は、母親が子供を見守るように深い慈悲の眼で全ての人々・全ての生き物を観護り、 苦しみ心が乾いた衆生に慈悲と仏法の雨を降らし潤わせる仏様なのです。

また多羅菩薩様は、無尽の香水(こうずい; 聖なる水)を湛えた海に浮かぶ、 美しい蓮の中に広がる世界の中に建つ摩尼宝珠で美しく荘厳された宝殿に住しておられます。 その御身は清浄で緑金の光をたたえ、宝珠や玉の瓔珞を身に纏い、 頭の宝冠には多羅菩薩や諸観音が属する蓮花部の主尊である無量寿仏を戴いています。 そして右手は「与願印」という、あらゆる衆生の願いを叶えようとする力を象徴する所作をなし、 左手には、仏の慈悲の眼差しの象徴である青い蓮(睡蓮)を持っておられます。また右足は、 速疾に衆生の元に駆けつけられるよう、跏座を解いて前に踏み出しているのです。

当庵の多羅菩薩像(図1)は図像で、チベットのタンカ(仏画)が印刷されたものです。 この図像は元々、庵主がインド学研究室の学生時代、 研究室とご縁のあったチベットご出身で今は日本に在住のチベット仏教の高僧ニチャン・リンポチェより三帰依戒 (仏・法・僧の三宝に帰依する戒)を授かった際に直々に授かった図像です。 その後常に自身の近くに護持しておりましたが、 庵主が高野山で得度し高野山内での修行を終えさらに自分で修行を続けて行く際、 自分の修法の本尊としてまた自身の守り本尊として自ら開眼供養したものです。 以来、この多羅菩薩を本尊として修法を重ねております。

梵名(サンスクリット名)
ターラー(Tārā)
密号(密教における別名)
悲生金剛
(大悲者観自在菩薩(観音菩薩)より生ずるの義)
種字(多羅菩薩を表す梵字)
「タン」字(図2)
三昧耶形(多羅菩薩のはたらきを示すシンボル)
青蓮花(図3)
真言(多羅菩薩への祈りの言葉)
オン タレイ トタレイ トレイ ソワカ
但し師伝により「オン ターレー トゥッターレー トゥーレー ソーハー」と発音す

日本の多羅菩薩

東寺蔵・元禄本胎蔵曼荼羅
図4 東寺蔵・元禄本胎蔵曼荼羅

多羅菩薩拡大図
図5 胎蔵曼荼羅 多羅菩薩拡大図

多羅菩薩拡大図
図6 御室曼荼羅 多羅菩薩

多羅菩薩は古くはインドにおいて、また現代でもチベット文化圏では 日本における観音様への信仰と同様あるいはそれ以上に人々に親しまれている仏様です。 日本ではほとんど名前を知られていないようですが、 弘法大師空海が唐より請来した現図曼荼羅、金剛界・胎蔵界の両界曼荼羅のうち「胎蔵曼荼羅」(図4)の中、 向かって左手の「観音院」と呼ばれるグループの中に、多羅菩薩が描かれています(図5)。 また、金胎両部の諸尊の尊容を描写した版本である御室曼荼羅には、 多羅菩薩の尊容が詳細に描かれています(図6)。

日本では独立の尊像として制作されることはなかったようですが、 両界曼荼羅は弘法大師による請来委以来日本中の密教寺院で祀られておりますので、 お名前は知られていないだけで多羅菩薩自体は弘法大師以来現在に至るまで日本中でお祀りされている仏様のお一人なのです。

また当庵において庵主が修している修法はあくまでも高野山で正式に伝授を受けた中院流 (真言宗の行法の流派の一つ)の次第をもとにしたものです。 ただし、多羅菩薩の一尊法は中院流には伝わっておりませんが三宝院流、 安祥寺流等の聖教には含まれている為、 高野山で受けた中院流一流伝授の大阿様にもご相談しながら 中院流とは兄弟関係にある流派である三宝院や安祥寺流等の聖教をもとに別行立の多羅菩薩供養法私次第を編集し、 これを中心に修しております。従って、当庵に於て修されている修法は全て弘法大師以来の法流を汲む修法です。

多羅菩薩は上にも述べました通りインド・チベットのみに伝わる仏様ではなく、 日本ではチベットほどポピュラーにはならなかっただけで、 遅くとも弘法大師以来日本におられる尊格です。 私はニチャン・リンポチェとの出会いと多羅菩薩の「お像」を通じてチベットとのご縁を頂きながら、 高野山で正式に受け継いだ弘法大師以来の法流の中で、 「日本の多羅菩薩」として日本の修法によって本尊を護持して参りたいと考えております。

多羅菩薩と十一面観音

このように、多羅菩薩様は生き物を育み潤す、恵みや慈悲を象徴する「水」の仏様なのですが、 同様に「水」を司る仏様に、十一面観音様がおられます。十一面観音は頭に十一の面を持ち、 右手に水差しを持っておられます。当庵では、本尊多羅菩薩と共に、 十一面観音さんも勧請して併せて修法を行っているのですが、その修法の中で庵主が感じているのは、 十一面観音は仏の本質の水、宇宙の本質の水を垂直に導くのに対し、 多羅菩薩は水平に水を巡らすということです。

仏の慈悲というのは、人間的なレベルの「優しさ」というような生やさしいものではありません。 仏の「本質の水」は、単に衆生を潤すのみではなく、宇宙の本質に目覚めさせる、 清々しく時に荒々しくさえある冷たく冴え渡った水です。 この宇宙の本質の水を十一面観音は垂直に導き、時に瀑布のような恐ろしいまでの荒々しさで衆生を洗い流します。 その強烈な浄化力から、古来、十一面観音は疫病を止めるともされてきました。

こうした十一面観音の働きに対し、多羅菩薩はその図像にも描かれているように「本質の水」を 満々と湛えた海に浮かぶ美しい蓮の花の中の宮殿に住し、衆生の世界と、のみならず仏の世界にまで、 その「本質の水」を巡らすのです。

当庵では本尊の多羅菩薩を祀ると共に、十一面観音を勧請し、 十一面観音の功徳(ちから、はたらき)により仏の世界の本質の水を垂直に導き、 多羅菩薩の功徳によりこの世とあの世全体、宇宙全体に巡らせるという、 「水の行法」を日々修しているのです。

当庵本尊・多羅菩薩へのご参拝について

当庵は当初は庵主の修行道場として開かれた経緯から、現在のところ一般の方がご参拝頂くことはできません。 けれども、多羅菩薩がいつでも衆生の元に向かわんと右足を踏み出しておられるように、 当庵では当庵道場での庵主の独行によるご祈願・ご供養等の他、 当庵近くまたは施主様のご希望の場所に会場を設けて、 あるいは施主様のご自宅等に当庵本尊・多羅菩薩図像をお連れしての ご参拝・ご祈願・ご供養を受け付けております。

詳細は「ご祈願・ご供養」をご参照下さい。

参考文献