はじめに
庵主は幼少時代を山形市で過ごしました。山形市の東方、蔵王連峰の西端にそびえるのが瀧山(りゅうざん;標高1,362m)です。
庵主は高校卒業と同時に山形を離れ、その後得度して僧侶となり基本的に関西地方で活動しておりますが、山形にある実家への帰省などの際に僧侶・密教行者の眼で山形の山々を見た時、山形に住んでいる時には気がつかなかった、山形の山の独特の力強さを改めて感じるようになりました。中でも瀧山は子供の頃からキャンプやハイキングで親しんだ山ですが、その後、瀧山中腹には平安時代から鎌倉時代まで天台宗の一大霊場があったという話を聞き、特に私自身とも縁の深い十一面観音との関わりから、改めて強い興味を抱くようになりました。
現在はその大寺院の痕跡もほとんど見ることはできませんが、かつては修験者たちにとっては神・ほとけの山であり、また山形の人々にとっては水の神でもあった瀧山を神の山・仏の山としてお祀りしお護りする精神は、麓の人々や新福山般若院石行寺さんはじめ麓の寺社に受け継がれています。
そしてまた庵主も、幼少期から瀧山とご縁を頂き、また僧侶となる仏縁を頂いた一僧侶、一密教行者として、瀧山に宿る神・仏を御供養して参りたいと考えています。

(西蔵王高原より瀧山を望む)