多羅菩薩祈願所 真言宗単立寺院 青蓮庵 多羅菩薩祈願所 真言宗単立寺院 青蓮庵

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庵主プロフィール

岩田 慈観 (いわた じかん)

昭和43(1968)年東京都小平市生まれ。小学校入学より高校卒業まで両親の郷里である山形市で過ごす。子供の頃より仏像・寺院に親しむ。仏教思想に興味を持ち、東北大学文学部にてインド学仏教史学を専攻。インド哲学、原始仏教、インド・チベットの仏教思想を学ぶ。

その中で修行体験における意識状態の変容に興味を持ち、大学院は北陸先端科学技術大学院大学 情報科学研究科に進学、意識状態の変容と脳活動について研究。感覚遮断環境下と睡眠中で、自律神経及び脳の活動と意識体験を比較した研究で平成12(2000)年に博士号を取得。

その後ポスドク研究員として、東北大学大学院情報科学研究科生体情報学研究室、東北大学未来科学技術共同研究センター脳機能イメージング研究分野にて、脳波や機能的MRIなど脳機能画像を用いた脳科学の研究に従事する。

平成17(2005)年、脳科学の立場からの脳と意識の研究から、自分の興味の原点である自分自身による修行の実践に進むべく、研究職を辞し高野山別格本山大圓院にて出家得度。平成18(2006)年、高野山真別処 高野山事相講伝所にて四度加行成満、伝法灌頂入壇、密教僧・密教行者としてのスタートを切る。

平成19(2007)年、京都市内に自坊・青蓮庵を開庵。多羅菩薩を本尊として行法を重ねる。

また得度前より約20年来、石川・福井・岐阜の各県にまたがる霊峰白山より、若狭・京都・奈良・和歌山熊野へと連なる数々の水の聖地を巡っており、得度後は加えて自坊において密教行者として本尊多羅菩薩ならびに十一面観音・善如龍王を通じて法界に水を巡らす行法を続けている。

略歴

得度までの略歴

平成4(1993)年3月
東北大学 文学部哲学科卒業 (印度学仏教史専攻)
平成12(2000)年3月
北陸先端科学技術大学院大学 情報科学研究科 博士後期課程修了 (情報処理学専攻)
平成12(2000)年4月~平成14(2002)年3月
東北大学大学院 情報科学研究科 非常勤研究員 (生体情報学研究室)
平成14(2002)年4月~平成17(2005)年7月
東北大学 未来科学技術共同研究センター リサーチフェロー (脳高次機能イメージング分野)
平成18(2006)年7月~平成19(2007)年4月
独立行政法人 情報通信研究機構 未来ICT研究センター 専攻研究員 (CREST脳機能イメージングチーム)

僧侶としての履歴

平成17(2005)年7月
高野山 別格本山大圓院にて得度
平成18(2006)年3月
高野山 真別処 圓通律寺内 高野山事相講伝所にて四度加行成満
平成18(2006)年8月
高野山 真別処 圓通律寺にて伝法灌頂入壇
平成19(2007)年7月
自坊・青蓮庵開庵
現在
真言宗単立寺院 青蓮庵 住職

岩田慈観はいかにして密教僧となったのか

幼少の頃

私はお寺の出身ではありませんが、子供の頃からお寺というか仏さんには親しみを感じていました。確か小学生の頃、祖父の家に行った時、近くの三宝岡(「さんぼうがおか」(山形市下東山三宝岡))にあるお寺に散歩に行き、その本堂の阿弥陀さんの座像の前で、「この本堂の中で昼寝したら気持ちいいだろうなぁ」と思っていたりしました。

また、今考えると大きな影響を受けたと思われるのは、手塚治虫のマンガ『火の鳥』のシリーズ、中でも「黎明編」と「鳳凰編」は小学生のころから繰り返し読んでいました。『火の鳥』を通じて、「輪廻」や「宇宙の本質的存在」(作中では「コスモゾーン」という言葉で現されている)についての自分なりのイメージが作られていった気がします。また、「鳳凰編」の登場人物「我王」の生き方から、僧侶・修行僧の一つのモデルが自分の中に形作られていった気がします。

また一方で、小学生のころから高校までボーイスカウトに入っていたのですが、私が入ったところはたまたま真宗大谷派の教務所の場所を借りていたので、そのご縁で、真宗の開祖である親鸞聖人や、釈尊(歴史上の人物としてのお釈迦さん)の伝記や思想に触れる機会が多くありました。当時は祖父母と別に暮らしていた事もあって、家には仏壇もなかったのですが、習慣や信仰という文脈よりも、適度に知的なチャンネルで仏教の思想に触れることができ、同時に、お花まつり(釈尊のお誕生日)や報恩講(親鸞聖人のご命日の前後に行われる浄土真宗の法要)などの行事に参加したり、「ジャータカ(本生譚)」と呼ばれる釈尊の前世の物語を元にグループで絵を描くなどの体験を通じて、全くの知識や「お勉強」ではなく、「生き方」として親鸞や釈尊に触れることができたのは、自分にとってとても幸運だったと思います。

ボーイスカウトでの体験でまた一つ印象的だったのは、中学2年の終わりの春休み、真宗大谷派に関わる全国のボーイスカウト・ガールスカウトの子たちが本山である京都の東本願寺に集まる1週間程の合宿に参加したのですが、この中で親鸞ゆかりの場所をハイキングする機会があり、東本願寺から親鸞の夢告で有名な六角堂(正式には紫雲山頂法寺)に参拝した後、バスで修学院離宮道まで移動、雲母坂(きららざか)から比叡山に登り、東塔・西塔を経て横川(よかわ)に至る道を歩いたことでした。このハイキングの後、比叡山で行われている千日回峰行を中心に、常行三昧堂で行われる不眠の厳しい修行や、浄土院での十二年籠山などの密教修行の話を聞いて、並ならない興味と心の高まりを覚えました。今思えばこの体験は、密教修行への志の大きなきっかけの一つだったように思われます。またこの時、現在に至る私と京都とのご縁が始まりました。

こうして最初は主に仏教の一つの宗派を通じて、より深く仏教の思想に触れていったのですが、当時から強く意識していたのは、「たとえ親鸞であれ釈尊であれ、その言葉を鵜呑みにすることはできない」ということでした。彼らは彼らなりの修行や様々な体験を通じて、彼らなりの思想を形作っていったように、自分は自分の体験を通じて自分の思想を深めるべきだということを、子供の頃から強く考えていました。同じ体験をしても、それを通じてどういうことを感じるか、それにどういう意味を見いだすかは、10人いれば10通りの感じ方・意味づけ方があるはずです。親鸞や釈尊らはもちろん偉大な先達だとしても、自分は自分の身体と頭を使って自分自身を出発点として、自分なりの世界の見方を作っていきたいということを、子供ながらに強く感じていました。それに、おそらく例えば親鸞自身も、自分の言うことを無批判に鵜呑みにする人よりも、自分の視点で自分の体験について考える人との対話の方が面白く感じるのではないかと思います。ですので、親鸞の思想にも興味はありましたが、むしろその原点としての原始仏教や印度哲学について、より深く知りたいと思うようになっていきました。

ちなみに、この京都での合宿の後単独で奈良に向かい、天理市の石上神宮から桜井市の大神神社に至る山辺の道を一人でハイキングしたのですが、これもまた、現在に至るまで続く三輪山・大神神社とのご縁の始まりでした。(三輪山との繋がりについては、「水巡りの記」にて詳しくお話したいと思います。)

(つづく)