2021年8月8日 三輪山・檜原神社、大兵主神社、巻向山奥不動寺、大神神社お参り
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はじめに
本日は新月。久しぶりの水巡りのお参りは三輪山へ。 今回はまず檜原神社、大兵主神社(穴師坐兵主神社)、さらに三輪山の裏手に登り巻向山奥不動寺にお参りし、 最後に大神神社に参拝することにする。
<今回の目的地、三輪山と檜原神社
(Googleマップを元に作図。地図データ:© 2021 Google)>
<三輪山周辺拡大図 (Googleマップを元に作図。地図データ:© 2021 Google)>
檜原神社
檜原神社は元伊勢の筆頭、笠縫邑(かさぬいのむら)の比定地とされる。
即ち、第十代崇神天皇の時代までは天皇と「同床共殿」であったと伝えられる
天照大御神が皇女・豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託され、
最初に祀られた場所とされる。
その後も大神の神魂は理想的な鎮座地を求めて各地を遷幸し
その事業は第十一代垂仁天皇の第四皇女倭姫命に引き継がれ、
最終的に伊勢の地に鎮まられた。この各地の遷幸の地は元伊勢と言われる。
当社の御祭神は天照大神。併せて境内には豊鍬入姫命を祀る豊鍬入姫宮が鎮斎されている。
相撲神社
檜原神社より北へ約1km、大兵主神社へ。まず摂社・相撲神社にお参りする。
御祭神は野見宿禰。現地の説明書によると「相撲はもとは神の信仰から出て国土安穏、
五穀豊穣を祈る平和と繁栄の祭典であり、第十一代垂仁帝の七年、
野見宿禰と当麻蹴速が初めて天皇の前で相撲をとり相撲節(七月七日)となり
それがもとで後世、宮中の行事になった。」とのことで、
当地がその相撲発祥の地であるとされる。
大兵主神社(穴師坐兵主神社)
大兵主神社(別名・穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ))の御祭神は
若御魂(わかみむすび)神社(右)、兵主(ひょうず)神社(中)、
大兵主(だいひょうず)神社(左)。
境内の説明書によると「当社は三神殿にして古典の伝えるところでは第十代崇神天皇六十年
命を受けて皇女倭姫命(原文まま。豊鋤入姫命の誤りか)が創建され延喜の制で
名神大社に列せられる祈年月次相嘗新嘗のもろもろの官幣を預かり、
元禄五年には正一位の宣旨を賜った最高の社格をもつ大和第一の古社である。
当社は衣食住を司る広き厚き御神徳を頂く神々である。」とのこと。この地も元伊勢
「笠縫邑」の比定地の一つである。
以下、境内摂社の数々。この社は出雲大社と同じ大社造のように見える。
出雲ゆかりの野見宿禰を祀るのだろうか?(銘板等は無い。)
お参りを終えたら更に明るい日差しが射してきた。
同行のY女史によると「国造りに際して三本の旗を立てたような場所」と。
また「古い「巣穴感」があるのは檜原神社の方」だと。
巻向山奥不動寺
乗用車でなんとか登れる山道を進み巻向山奥不動寺にたどり着く。本尊はその名の通り不動明王。
真言律宗に属すとのこと。
山門を入ったところでどなたかとお話しをされているご住職に出会い、
丁寧にご挨拶をしてお参りにお邪魔する。
本堂前にて先ほどのご住職が同じ密教僧ということもあって親しく話しかけて下さり、
お言葉に甘えて上堂させて頂く。
ご本尊は磨崖仏でそれを覆うようにお堂が作られているとのこと。
外陣からは直接ご本尊を眼にすることはできないが、その分濃厚に仏の御威徳とが感じられる。
ご住職のお話によると、ここは古い行場と思われ古くは小さなお堂の跡らしきものがあったようだが
文書は残っていないとのこと。御宝前にて般若心経一巻と不動慈救呪をお唱えする。
周辺の基壇跡とされる場所も歩いてみたが、
この辺りではこの本堂が最も場のポテンシャルが高く感じられる。
やはり古くからの行場なのだろう。そして今も行の場として保たれている。
そのことをお暇する時にご住職にお伝えすると、我が意を得たりという感じで微笑まれていた。
大神神社
狭井神社
摂社・狭井神社。御祭神は大物主神の荒魂。その名の通り御神水の神様でもある。
また、三輪山登拝の窓口にもなっている。
折からのコロナ禍のため登拝は中止中。御神水も感染対策が施された臨時の拝戴所が作られている。
三輪山の登拝も中止されている。登拝口より三輪山山頂を遥拝する。
ここからでも山頂の霊地や中腹の古代祭祀跡の濃厚な霊気が明確に感じられる。
若宮社(大直禰子神社)
三輪山のお参りの締めくくりは若宮社。元は大神神社の神宮寺・大御輪寺。
いつもの如く、今はお姿は見えないが今も濃厚にその気配が感じられる十一面観音も併せて
ご供養する。
おわりに
今回のお参りは特に元伊勢の出発点つまり豊鍬入姫命ならびに倭姫命によるご遷幸の出発点を
意識するお参りとなった。最終的な鎮座地を求める天照大神の旅は各地の神々と各地の民の心を束ねる
古代の国造りのための基礎づくりでもあったのかも知れない。
こうした礎の地を廻ることは、自らの道の礎を再確認する作業でもあるのかも知れない。