2020年10月17日 三輪山・大神神社お参り
はじめに
<Googleマップを元に作図。(地図データ:© 2020 Google)>
今月の新月のお参りは三輪山の大神神社(おおみわじんじゃ)へ向かう。 7月に再開した水巡りのお参り、 「水巡りの道」の北端・水源である白山、南の要(かなめ)の玉置山、白山の水が眼に見える形で湧き出る若狭に続き、 今回は「水巡りの道」の中心(コア)にあたる大神神社に参拝することにする。
また今回は、先日来気になっていた 奈良市埋蔵文化財調査センター で開かれている 「ナニこれ!?平城京出土の用途不明品」展を観に立ち寄ることにした。
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大神神社
朝7時過ぎ京都出発、9時20分過ぎ大鳥居横の駐車場着。いつもの様に旧参道を歩き大神神社に向かう。
一の鳥居をくぐり、通称「下の宮」大神教本院へ。
いつもながら、おじいちゃん・おばあちゃんの家に来た様な懐かしさ。
何やらお祭りの準備をしているところをお邪魔する。灯明を捧げお参りする。
拝殿にてお参り。観想にて三輪の神様にお水を捧げ、その水を宇宙に巡らす。
更に摂社・狭井神社に向かう。途中、大神神社・三輪山の神様である大物主命の国造りの手助けをした少彦名神を
祀る磐座神社にお参りする。
狭井神社にてお参り。大物主命の荒魂を祀る。
お参り後、裏手の御神水を頂く。すっきりとしたお水。
お参り終わって境内の休憩所でしばらく空気を味わう。
拝殿横の三輪山登拝の入口。この雨の中でも登拝に向かわれる方がおられる。
しっとりとして心静まる雨。
やはり水巡りのお参りは良い。巡らさないと澱んでしまう。
新型コロナ禍は大変な事態だが、
一度立ち止まっていろいろなことを根本的に考え直す時間を与えてくれているのかも知れない。
狭井神社から摂社・大直禰子神社(若宮社)へ。旧・大御輪寺。かつては十一面観音が祀られていた。
十一面さんは明治の神仏分離の際は同じ桜井市内の聖林寺に移された。
お像は移られたが、今も観音の濃厚な雰囲気が感じられる。
二ノ鳥居前に戻ってくる。帰り際、再度大神神社・三輪山を遥拝する。
参道を戻って行く途中、昨年JR三輪駅東側に竣工した三輪山会館を初めてゆっくりと見る。
奈良市埋蔵文化財調査センター「ナニこれ!?平城京出土の用途不明品」展
帰路、先日来気になっていた 奈良市埋蔵文化財調査センターで開催中の 令和2年度秋季特別展「ナニこれ!?平城京出土の用途不明品」展(会期は令和2年11月20日まで)を観に寄る。
展示概要によると、「平城京内の調査で出土した遺物の中には、類例も少なく、その形状・材質をみただけでは、
使い方がよくわからない遺物があります。ここではそのような、ある意味、謎を秘めた興味深い遺物を紹介します。」
とのこと。好評のため会期が延長されたらしい。
おそらくは呪詛に使われたのではないかと個人的には思われる人形(ひとかた)や人面の描かれた土器、 断片的に判読はできる物の意味不明の墨書きのある桧扇など、独特の雰囲気を放つ遺物がいろいろ展示されている。 物は残っても、実際にそれらを作ったり使ったりした人たちが どういうつもりだったのか、その「意味」については推察の域を出ず学問的・科学的議論はなかなか難しいであろうが、 様々な空想をかき立てられる。 我々が日々行なう密教儀礼もそうだが、儀式や儀礼など無形の物は一度失われたら二度と復活することはできない。 儀礼の伝が失われてしまったら、密教法具なども物だけが残ってもそれらがどういう意味でどう使っていたのかは 永久に解らなくなってしまうだろう。形骸化の危険と隣り合わせながら、我々が受け継いだ様々な儀礼もしっかりと 後世に伝えていかなければならないと改めて考えさせられた。
終わりに
お参りより自坊に戻ると、遠方より御祈祷の依頼が届いていた。 お参りの後のこうした呼応はいつもながら興味深い。 この時期は「リモート」でのお参りもやむを得ないところもあるが、 やはり実際に場を踏んでお参りすることによって、 自分の周りの場も組み替えられて行くということがあるのだろう。 それが参拝・巡拝の極意であり、また眼に見えない次元に関わるための「技」でもあるのだろう。 そうした「技」をこれからも深めて行きたいものである。