2020年9月17日 若狭お参り
はじめに
今月の新月は若狭にお参りに向かう。若狭へは昨年8月1日以来のお参り。
宝篋山天徳寺の瓜割の滝の湧き水は奈良時代に白山を開いた泰澄大師によって見い出されたと言い伝えられる。 個人的に、白山に降ろされた天の水が眼に見える水として湧き出るのがこの瓜割の滝と考えている。 今回もここで瓜割りの水を頂き、自坊の本尊多羅菩薩はじめ諸仏諸神にお供えしようと思う。
<Googleマップを元に作図。今回は走行ルートは割愛しています。(地図データ:© 2020 Google)>
当日は朝7時前に自坊青蓮庵を出発、北白川から大原を抜け国道367号線鯖街道を北上、水坂峠を越えて若狭に到る。 まず瓜割の滝にてお参りの後、水汲み場にてお水を頂く。 続いて西に向かい鵜ノ瀬、遠敷川を下り若狭彦・若狭姫両神社に参拝、 そして小浜市内、空印寺境内にある八百比丘尼入定窟へと巡拝した。
また今回は帰路は小浜から京北町を経て京都・高雄へと抜ける国道162号線周山街道を南下し、 以前近くを通りかかった時から気になっていた、おおい町名田庄にあるおおい町暦会館に立ち寄ることにした。
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宝篋山天徳寺・瓜割の滝
午前9時前、若狭瓜割名水公園駐車場着。 今回は新型コロナの感染が広がってから初めてのお参りで 水汲み場が閉じられていないか心配だったが、 ちらほら水汲みの方がいていつもと変わらぬ様子であった。
水汲み場を横目に、まずは瓜割の滝にお参りに向かう。
瓜割の滝に到る。「滝」と称されるが、湧き水がこの地の要である。
物理的次元は別として、眼に見えない次元を通じて白山の霊水がここに眼に見える形として湧き出しているように
感じられる。
以前は鳥居前まで行けたが、今は湧き水周辺の環境保全のため手前から
のお参りになる。湧き水を清く保つためにも良い対処と思う。
御宝前にて、般若心経、十一面観音・龍神・水天の各真言および
白山権現宝号を唱え、宇宙に水を巡らす。
今日も水が豊かに湧き出している。夏でも浸けていた瓜が割れるほど冷たいと言われる水。
手ですくって一口頂く。甘露。
境内のしっとりとした瑞々しい空気をたっぷり吸って、参道を戻る。
お参り終わって、駐車場横の水汲み場で20Lポリタンクにお水を頂く。 明日18日は自坊青蓮庵の本尊多羅菩薩縁日祈祷。 汲みたての瓜割の甘露なお水をお供えできるのが有り難い。
鵜ノ瀬
瓜割の滝から車で約15分、小浜市下根来の鵜ノ瀬へ。遠敷明神が降臨した場所とされる。
南方を望む。この先は貴船、京都、奈良の東大寺二月堂、
更に先には玉置神社へ連なり、眼には見えない次元を通じて若狭の若水が下って行く。
若狭彦神社
鵜ノ瀬から遠敷川沿いに下り車で約5分、若狭彦神社へ。
一の鳥居。若狭彦神社の御祭神は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)あるいは若狭彦大神。
下社の若狭姫神社(御祭神は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)あるいは若狭姫大神)に対し上社と呼ばれる。
二神を合わせて群名から遠敷明神とも呼ばれる。
若狭姫神社
若狭彦神社から更に車でに5分ほど、下社の若狭姫神社へ。
御祭神は龍宮伝説で知られる豊玉姫命(とよたまひめのみこと)あるいは若狭姫大神。
八百比丘尼入定窟
瓜割の滝と遠敷明神へのお参りを終えて、恒例のコースとして小浜市内・空印寺境内の八百比丘尼入定窟にお参り。
八百比丘尼は人魚の肉を食べ八百歳まで生きたとされ、この窟で入定されたという。
(八百比丘尼伝説は全国各地に分布しているらしい。)
空海との交流があったという伝説もあるといい、また龍宮の伝説とも関わるため、若狭に来た時には毎回立ち寄って
お参りしている。窟の入口にて比丘尼の冥福を祈り般若心経、光明真言をお唱えする。
おおい町暦会館
小浜市内で昼食をとり、周山街道国道162号線を京都に向かいながら、
途中、おおい町名田庄にある
おおい町暦会館に立ち寄る。
以前この道を通った際、お寺とも似ているがちょっと違う不思議な建物が眼に入り、それ以来気になっていた。
名田庄は古くは陰陽博士安倍晴明を祖とする土御門家の知行地であり、都が応仁の乱で荒れていた時には
土御門家はこの地に疎開していたらしい。その関係で土御門家関連の陰陽道・天文道・暦道関連の史料が
残されていたようで、それらと併せて現代に到る暦法の資料を集め、ここ暦会館で公開・展示している
らしい。密教においても宿曜道と呼ばれる暦法・占星術がありその暦に基づいて修法のために良き日を択んだりしており、
宿曜道は陰陽道との関わりも深い。
実際に拝見してみると(失礼ながら)予想以上に充実した展示であった。陰陽道の儀礼における次第あるいは 密教で言う表白(ひょうはく; その儀式の趣旨を本尊に対し申し述べるもの)のようなものなどは、 我々が実際に使っている書式と相通じるものがあり興味深かった。また密教が依拠する宿曜歴の要である 二十八宿についても、非常にわかりやすい資料を知ることができた。 職員の方も自ら詳細に研究をしておられるご様子のみならず、入館者にも非常に熱心に解説して下さっていた。
天体の運行の生き物・人間への影響についてはまだまだ分かっていないことが多い。 従って、天体の運行の観点から物事をなす上での吉凶を判断することは、 迷信として無下に否定することはできないのではないだろうか。 我々も修法の伝授の中で、大事な法会や行法の厳修においては宿曜に基づいて慎重に日を択べということを言われたが、 どうしても現実の日常生活の中では休日や祝日など現世的な都合を優先せざるを得ない場面が多い。 しかし改めて初心に返り、現代の表層的な知性では未だ汲み取り切れていない知見が含まれている可能性のある、 伝統的に依拠してきた暦をしっかり見ていくべきであろうと思われた。